大恐慌を乗り越えて出来上がってきたパイロットには欠かせないA-2やB-3フライトジャケットはどのように完成してきたのか、歴史を振り返ります。
A-2やB-3誕生
前回に引き続き、1930年代となり、未だに人気の衰えない男のステータス的憧れのフライトジャケットである、このA-2、B-3誕生が登場してきます。
1920年代後半まではこういったフライトジャケットと呼ばれるものではなく、オーバーオールのフライングスーツというものが主流だったそう。
同時期である1930年代にG-1ジャケットは海軍航空隊によって開発され、陸軍航空隊のA-2ジャケットのライバル的存在となっていたとも言われています。
B-3シープスキン
冬になると極寒の上空。1934年にはシープスキンを使ったB-3ジャケットが採用されてきます。
後にパイロットにはありがたい飛行機の改良、コックピッドが密閉型となったため、1939年になるとより軽量化を重視したB-6やA-6が採用されるようになります。
ジッパー実用化
今となっては当たり前のようにジャケットに付いているジャケットやフリースなどのジッパーですが、1930年代のフライトジャケットの大幅普及により実用化がされたものだったのです。
現在は日本のメーカーであるYKKが人気ですが、この当時はTALON社、実用化のきっかけといわれているのは1923年B・F・グッドリッチ社のホレックスレス・ファスナー社(後のタロン社)なのだそう。
よって革フライトジャケット愛好家やコレクターが必ずと言ってもいいほど確認するのが、このジッパーは何処製を仕様しているフライトジャケットなのかです。